子育て Q & A
 Q 2歳児(女児)のお母様からのご相談
某大学病院の中の精神科の看護婦をしておりました。その中で、特に感じた事は、親子関係の重要さという事でした。心の病んでいる人の多くは、親子かんけいが希薄過ぎたり、または、過干渉であったりと、必ず、親子間に問題がありました。

 私は、その4年間の間色々感じた事もあり、自分が妊娠をしてからは、「子育て」と言う事を一番に考えて行こうと強く思い、退職をして現在にいたります。幸い、主人もそのような私の考えに賛成をしてくれ、主婦という立場で子育てに専念しております。 最近の私は、年々成長していく娘の姿を見るのが嬉しいのと同時に、その責任の重さに思い悩んでいました。子供の内面的な豊かさは、親である私の関わり方が重要であるという思いから、子育てという作業が自分にはちゃんとやってけるのかといった不安がつのっていました。

 そんな折、たまたま、このホ−ムペ−ジを見つけ「子供は庭木である」というペ−ジを読んで、本当に救われた思いがしました。 先生のアドバイスを読むにしたがって、ちょっと自信がついてきました。私が子供に対して、行ってきた事は間違ってないのだと、感じられたのです。

 親ばかかもしれませんが、うちの娘は穏やかで、他の子のオモチャを無理やり取ったり、また、自分にとって嫌なことでも、暴力で表現したりと言う事は一度もありません。しかし、取られた時に泣いたりはしないのですが、嫌な顔をして、しばらくボ−っとした後に違う遊びをしているのです。取られて嫌だったら、ちゃんとお友達に言う様にといっているのですが、お友達に対して「嫌」とか「ダメ」と言っているのを今だに聞いた事がなく、実は、私のちょっとした悩みでもあるのです。

これから、幼稚園へ行ったり、小学校へ行くと、気の強い子や、様々な個性を持った子が集まって来ますよね。その時に、このこははどうするんだろうて心配になってしまうのです。穏やかなのを良い事にいじめられやしないかと・・・。

 そんな事もあり、大きな幼稚園に入れて、ちょっとたくましくなってもらうのが良いか、人数のあまり多くない、キリスト系の穏やかな幼稚園が良いのか、子のこにとってどちらを選べば良いのか、悩んでいます。

私自信の理想は、なるべくお弁当で、人数も一クラスで15〜20人程度で、送り迎えのバスが無い所が良いのです。そうすると、キリスト系の幼稚園がぴったりなのですが、主人は全く反対の幼稚園の方が、良いのでは、いつかは、もまれるのだからと言います。

 そして、もう一つは、幼稚園の受験をさせる事です。私の住んでいる所には、公立の幼稚園は一校だけあり、そこは、教育理念もしっかりしており、年少は20人しかとりません。子供の自主性と言う事をとても大切に考えて居る所で、是非入れれば、うちの子もその幼稚園へ通わせたいのですが、倍率が、試験で2倍、試験の受かっても、抽選があり、5倍という競争率の高さなんです。

今年はとりあえず、受験をさせようと思っているのですが、受からなかったときに、幼稚園を年中になってから入れる事になるので、2年保育が良いのか、3年保育が良いのかというまた、新たな悩みが出てしまうのです。

この子の個性を考えて、2年にしたらよいのか、3年にしたらよいのか・・・。受験に合格しなかったら、どこの幼稚園にしたら良いのか、毎日のようにグルグルと考えてしまいます。

 先生はどのようにお考えになられますか?良いアドバイスがありましたら、宜しくお願いします。。

 A  表面的な出方は同じように見えても表情をみていると、心がそれぞれ微妙に違い、それによってその子がどのような成長の仕方をしてきたかが解ります。実際にお会いしたお子さんではないので、文面上から感じ取った事柄を一般論としてお答えしたいと思います。

 また、ご質問もいくつかありますが、この相談者の場合ご自分で「受験させる」という結論をお出しになっていますので、その後の事を心配する前に、それに対する準備を行なうべきだと考え、今回はそれに対してお話させていただきます。

 ご相談の文面から察すると、娘さんは案外しっかりとした性格のように思われます。ただし、自分の感情を上手に表現するのが苦手のようです。

 幼稚園という集団生活の中では、教師やお友達とコミュニケーションがうまくとれるかどうかが、とても重要です。したがって、入園テストの中でもこの点をしっかり見られてしまいますので、受験をする前にしっかり準備しておく必要があります。もし、集団生活に入れる事で、この点を治したりしてもらおうとお考えなら、それは間違いです。

 最近、言葉の数(語彙数)は豊富なのにコミュニケーションの手段としての言葉が身についていないお子さんをよくみかけます。もし、家では必要な時に必要な言葉をきちんと言えているのにお友達には言えないとしたら、お友達と遊ぶ体験が足りない事が考えられます。

 いろいろな場面でお母さんがお子さんの代わりに話してはいませんか?「ごめんね、これは○○ちゃんのなのよ。」とか「ごめんなさいね、○○ちゃん、□□しちゃだめでしょ。」と云う様に。たとえ「かして!って言ってごらんなさい。」と言っても、かわいそうに思って結局はご自分が代わりに言っているとしたらどうでしょう。たとえ、毎日のように遊んでいても、結果的にその子は、遊んでいる中で言葉を使うという体験をしていないことになります。

 もうひとつ考えられるのは、日頃から自分の感情を相手にぶつけず我慢してしまうのではないか、という事です。

 もしそのように考えられるのであれば、意思が育つように、どうでも良い事こそ子供に選ばせてください。子供がお菓子を選ぶ時、迷っていると「早くしなさい、こっちでいいでしょう。」と、何気なく言ってはいませんか。「どっちがいいか解らないの?こっちはこうで、そっちはこうね。」と云う様にいろいろな相違点に気づかせてあげれば、漠然としていたものがはっきりとして、選びやすくなります。自分で選んだ事で、自分の好みもはっきりとし、自分の意思を自覚できるようになります。

 必要な言葉を言えていない場合、子供の一方的な要求に応えるだけで、親の言うことは受け入れられない子、あるいは、自分の意思が伝わらない事であきらめてしまう子を想像してしまいがちで、家庭でのコミュニケーションがとれていないと考えるのが常識です。したがって望ましい家庭ではないと判断されてしまうのです

 また、言葉で言わなくても、周りの大人が理解し先にやってくれるのですから『やってもらうのが当たり前』と考えるようになります。これでは感謝する心や思いやりの心が育つとは考えにくいと言えます。

 また、言葉でうまく表現できないため、思い通りに行かない時に泣いたりすねたりするようになります。親も子供が何をしたいのか、何が気に入らないのか理解不能で小学生くらいになった時に感情だけで親に向かってくる子になってしまいます。もちろん、泣いたりしないで我慢してしまう子もまれにいますが、結果的にその子の気持ちがまわりに伝わらない点では同様に不幸です。

 入園する前に「貸して」「ちょうだい」「ありがとう」「いや」「あとで」と云った言葉は最低限言えるようにしておきましょう。受験をする上で大切であると共に、どこの園に入っても必要な事です。どうぞ、頑張って言葉を引き出す努力をなさって下さい。

所見 子育ては短距離走ではなくマラソンです。自分の体調を把握し、どこで水分をとるのかスパートをかけるのか、まわりの走者に対しどのような駆け引きを行なうのか、走りながら常に考えなくてはなりません。

 その時、必要なのが、さまざまなデータや情報の中から今現在の自分にどれを当てはめるか見極め、最善のことを自分に課すかです。このお母様は幼児の今を捉えてはいますが、先の事に目が行き、本人の可能性に目を向けなんとかしようとする点があまり感じられません。

 こんな例があります。私共の教室に体験入室後「先生、今日行なった事をうちの子はみんな解っていました。きっと始めての場所だったので言えなかったんだと思います」とおっしゃった方がいます。いくら理解できていても言葉で表現してくれなければ、こちらは理解できません。

 代わりにお母様がこのようにおっしゃっても『ああ、このお母様はいつまでこの子の口の代わりをするおつもりなのかしら。それより、事実を受け止め、どうしたら始めての場所でも知っている事は答えられる子にするかを、お考えにならないのでしょう。』と、こちらは捉えてしまいます。

 どうぞ、集団の中で我が子が困った顔をしないですむよう、我が子に何を自分がしてあげられるか考えるようにして下さい。その子にあった環境を与えてあげるのはこのような状況下ではとても大切な事です。が、その前に、どのような環境の中でも適応できるよう、我が子に関わることがもっと大切なのではないでしょうか。